「荒野に消えた雄山羊」レビ記16章22節

雄山羊は彼らのすべての罪責を
背負って無人の地に行く。
雄山羊は荒れ野に追いやられる。
レビ記16章22節

一番重い人生の重荷は罪の重荷である。

その理由は第一、誰でも罪を犯さずに

生きることができないからである。

もちろん大いに罪を犯そうと言っているのではない。第二、罪を犯してからは罪責感という

ストーカーのため苦しまなければならないからだ。

そこで私たち主は来られた。

私たち人生の罪の重荷を背負うためである。

<罪とが憂いを取り去りたもう、友なるイエスは>

旧約にはイエス様がこの地へ来られ、私たちの

罪の重荷を解決して下さることを予め示して

いる場面があちこちに散在されている。

先週私たちが黙想したレビ記にもあった。

大贖罪の日に自分と民の罪を背負い、

神の前に出なければならなかった

祭司が二頭の雄山羊を連れていく。

一頭は<主のために>の贖いのいけにえとして

捧げられる。いけにえと言うのは血を流す事で

罪の代価が払われる事を意味している。

私たちイエス様が十字架にかかられた事件を

あらかじめ見せてくれる場面である。

特に興味深い事は <アザセルのために>という

雄山羊の動きである。

もうこの雄山羊には手を置くことで

祭司と民のすべての罪が雄山羊に移っている。

その後にあらかじめ備えられた人に引っ張られ

はるか遠い荒野に向かう。

その荒野というのは雄山羊が帰って来る事も、

人々が追い掛ける事もできない道を言う。

罪との完全な決別を私たちに見せてくれている。

二度と思い出しはしない(ヘブ10:17),

私たちの罪を移してくださる(詩103:12),

私たちの罪を深い海に投げ込んで下さる(ミカ7:19)

主の恵みの中で自由と喜びと解放を

享受しながら生きて行こう!!


〜真理を伝え、真理を守る〜
とねりキリスト教会

とねりキリスト教会は、東京都足立区にあるプロテスタントのキリスト教会です。 

担任牧師:張清益(チャン チョンイク)牧師

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