「言われた&従って&こうして(ついには)」創世記12章5節

(ついに)カナン地方に入った。
創12章5節

人類の祖先はアダムとエバである。

信仰の先祖はアブラハムだ。 (ローマ人への手紙4章11節、16節)

アブラハムの人生を通じて信仰の本質にスポットを当てよう。

1、主はアブラムに言われた。 12章1節

*キリスト教信仰の出発は人間ではない。

人間の知恵や哲学、経験、修行の結果ではない。

キリスト教は座禅と参禅の宗教ではない。

言葉の宗教である。

神様が来て下さった。

<アブラハムが神様に>ではない。

<神様がアブラハムに>である。

神様が先に私を愛してくれた。(第一ヨハネ4章19節)

私を訪ねて下さったその方の言葉を聞くことだ。

信頼の成長の秘訣は神の御言葉である。 ローマ人への手紙10章17節

2、主の言葉に従って旅立った。 12章4節

*どこへどうやって行けば良いかという言葉がない。 (ヘブル人への手紙11章8節)

それでも彼は旅に出た。

それ自体が信仰だ。

信仰は保険ではなく、冒険だ。

その冒険の責任は神が持つ。

*御葉を聞いた。 しかし、従わないと無駄である。

イエス様も弟子たちに従いなさいと言った。

最近はイエス様について来いと言う人が多い。

誰について行くかによって人生が決まる。

イエスに従う事こそは真の成功である。

3、(ついに)カナン地方に入った。 12章5節

御言葉を聞いた途端、疑いと葛藤が始まった。

生まれ育った場所を離れるのは容易ではなかった。

愛する人たちとの別れも容易ではなかった。

挫折も涙も後悔も多かった。

しかし、アブラハムはすべての川を渡った。

しかし、アブラハムはすべての壁を越えた。

そして、ついに約束の地に立った。

信仰の旅路には、数多くのものと戦わなければならない。

内的な困難、外的な困難がある。

2022年、<ついに>祝福の地に立つことを願う。

教会的にも<ついに>の祝福を確信する。

聖徒たちの家庭と職場においても<ついに>を確信しよう。


〜真理を伝え、真理を守る〜

とねりキリスト教会

とねりキリスト教会は、東京都足立区にあるプロテスタントのキリスト教会です。 

担任牧師:張清益(チャン チョンイク)牧師

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