「藁の代わりに祈りの綱をつかめ。」出エジプト記17章11節

モ―セが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、
手を下ろすとアマレクが優勢になった。
出エジプト記17章11節

おぼれる者は藁をも掴む。

気持ちは分かるが、藁を掴んではいけない。

人生を生きていれば誰でも溺れる。

水は人生の危機を意味する。

聖徒は藁ではなく、祈りの綱をつかまなければならない。

祈祷についての説教をする。

祈りの説教を聞く。

祈りは説教をしたからと良いってものではない。

祈りについての説教を聞いたからと良いってものでもない。

祈りはしなければならない。 

「祈り」は名詞ではなく、動詞である。

イエス様のおかげで罪を犯され、永遠の命を得た事も感謝だ。

しかし、聖徒は祈りの味を知らねばならない。

そのためには祈らなければならない。

時には切迫した状況で、切実に。

祈りの綱が緩んだのか。 祈りの綱が切れているか.

再び祈りの糸が回復することを願う。

出エジプトをされたイスラエル民が約束の地に向かっている。

砂漠という地理的、自然的環境も容易ではない。

しかも、彼らの道を塞いだ敵が出現する。

イスラエルは430年間、エジプトにおいては奴隷だった。

刀と槍を持ったことがない。

敵は好戦的な気性で戦場を駆け巡った民族だった。

人間的に見れば、勝算のない戦争だった。

しかし、神は祈りに勝敗を任せた。

モーゼの手が上がれば勝ち、下がれば負けだった。

人類の歴史上、このような戦争の記録は唯一無二だろう。

我々も人生にも数多くの敵と毎日戦わなければならない。

「北朝鮮は核ミサイルに頼る」

米国は最先端の軍事兵器を誇る。(141万人)

中国は最大兵力を誇る。(220万人)

祈りの手を挙げよう!

問題はいつの間にか手が下がる

一緒に支えてくれる人が必要だ。 (協攻、協力、協同)

私たちの祈りは 

全能の神の手を動かす唯一の道だ。


〜真理を伝え、真理を守る〜

とねりキリスト教会

とねりキリスト教会は、東京都足立区にあるプロテスタントのキリスト教会です。 

担任牧師:張清益(チャン チョンイク)牧師

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