「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きの為であり、
彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎の為であった。」
イザヤ書53章5節
毎年迎える苦難週間と復活節である。
習慣的な年中行事の一つとしてではなく、
己の信仰を再点検してみる機会にしよう。
1、私とは?
名前を聞いているのでも、
年齢を聞いているのでもなく、
スリーサイズを聞いているのでもない。
神の前において私という存在は何者なのか?
ロ-マ書0512によると、罪人であり、それにより
死ぬしかない存在である事を宣言している。
そうだ。
私が自分を見ると、結構良い人である。
他の人よりは、結構良い人である。
が、それは自分の勘違いに過ぎない。
私は神の恵みなしでは生きられない存在である
2、十字架とは?
名前の中に秘密が含まれている。
マタイによる福音書1章21節を見ると、ご自分の民を罪から救う為に、
この地に来られた方である。
それで、イエス様が負われたのが十字架である。
十字架とは、ローマ時代の残虐非道な凶悪犯を
処刑する為に作られた死刑道具である。
では、イエス様はそこで
死ななければならない理由があったというのか?
とんでもない。
彼は死ななければならない理由が全くない方であった。
彼が死ななければならない理由はただ一つ?
私たちの罪の重荷を背負って、
罪過を支払う為であった。(イザヤ書53章5節)
彼は私たちの罪を背負う為に来られた方であった。
十字架の残酷と恐怖と苦しみは、
イエス様も避けたい、何よりも苦い杯だった。
しかし、主はその苦い杯を拒まなかった。
これは我々に向けられた主の愛であった。
これが信仰の原点である。
十字架を黙想しながら一週間を生きていこう!
〜真理を伝え、真理を守る〜
とねりキリスト教会
とねりキリスト教会は、東京都足立区にあるプロテスタントのキリスト教会です。
担任牧師:張清益(チャン チョンイク)牧師
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