「我が王なる神様」士師記21章25節

「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」
士師記21章25節

どんな組織であれ、最も重要なのは指導者だ。

家庭も会社も国家も教会もである。

モーゼの死後, ヨシュアが選ばれた。

彼は死ぬその日まで使命をよく全うした人だった。

しかし、一つ残念なところがある。

ヨシュアの後を継ぐ人が見当たらなかった。

結局、指導者不在の結果は致命的だった。

結局、堕落と混乱の時代になってしまった。

<そのころ、イスラエルには王がなく>

士師時代を要約できる言葉だ。

王<指導者>のない時代

もちろん、王がいるからといって、全てが良しという事ではない。

もちろん王も王らしくなければならない。

王が権力の奴隷となって権力を乱用する。

王自身だけでなく、国そのものが惨めになる。 

韓国に新しい指導者が選出された。

当選祝いを受けるよりも、退任の祝いを受ける方が良い。

神を恐れ、民を愛するべきだ。神畏民愛

<それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた>

自分の目 とは?自分の思い通り、自分勝手という意味だ。

個人の人権と欲は異なる。

行き過ぎた個人主義は、幸福よりも混乱を招く。

なぜ?人間の心(本能)の中から出るものは悪が多い。

マルコによる福音書7章15-16節、20-23節

私たちは口に入ることに気を遣う。

イエスは心から出てくることに気を遣いなさいと言う。

本能に忠実であれとよく言われる。

自分の感じた通り、経験通り、思った通りだ。

自己本能の結果は、堕落と悲劇だ。

アダムとエバも本能のままに生きた結果堕落を招いた。

今日この時代のすべての人々は本能のままに生きている。

少なくともイエスを信じた我々は違わねばならない。

私たちは本能のまま生きている人ではない。

私たちは本能ではなく、その言葉どおりに生きようとする人々だ。

神様を我々の人生の王様として迎えよう!詩篇144:15145:1

その方の統治とご支配の中で生きよう!


〜真理を伝え、真理を守る〜

とねりキリスト教会

とねりキリスト教会は、東京都足立区にあるプロテスタントのキリスト教会です。 

担任牧師:張清益(チャン チョンイク)牧師

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